いよいよ刊行ですよ(小川美穂子)

本作りに一から関わるのは、初めてだった。ワンチームでゴールをめざして動くことは久しぶり。自分がこだわっていたテーマだし、もう一人じゃ前に進めないと思っていたから、おそるおそるチームに入った。

 

お固いテーマにゆるーい仲間たち、特に研究者といえるのは加藤先生だけ。会議は月一くらいであるけど、なんだかちっとも具体的に進まない。リーダーが毎回持参する、なんていうんだっけカタカナ言葉の、えっと忘れた~「マスタースケジュール」。それはエクセルかなんかの一覧表で、各自の分担、進捗状況とか記してあって、それらしく、「お仕事してます」って感じに見えるけど(可視化というのかしら)、イマドキの会社人間でない自分にとっては「私は何もしていないよ。みんなも何してるのかしら~ 」そんな感じで、本当に本が作れるのか半信半疑だった。

 

でも、とにかく、体験者の方に声をかけ、インタビューを頼んだ小川高校の文化祭にも挨拶に出かけ、両者をつないで〈高校生による聞き書き〉をコーディネートしているんだから、逃げられない。ポイントを一つ通過した。年が明けると、今度はコロナ禍となった。これは、やばいぞ。どうするんだろうと半分引いていたんだけど、なぜか、ギリギリのところでいつもなんとかなって、奇跡的に、前進あるのみ、だった。

 

まだ渦中にあるけれど、わたし達六人、本当にいいチームだ。つかず離れずでいい感じでトライを量産できたんだと思う。それは、やっぱりリーダーの力なんだろう。みんな勝手にやっているみたいだけど、共に前へいこうって思えること。これって大きいよな。

 

そんな吉田さんなんだけれど、実はちょっと、否、かなり笑えるんだな。銀行振込をするのに、わたし達の会の名は「熊谷空襲を忘れない市民の会」からスピンアウト(この言葉、今回覚えましたエヘッ)した「熊谷空襲75周年記念プロジェクト」ということで、郵便局の窓口で振り込もうとしたら一時間かかったんだそうな。えーっ!この文明社会にとメールしたら、その膨大なふり仮名の文字数がくせ者で、とても苦労したんだって。カタカナで表記すると「クマガヤクウシュウナナジュウゴシュウネンキネンシュッパンプロジェクト(濁点は一文字)」、長すぎてメガバンクの口座に振り込めないんだそうな。私は「じゅげむじゅげむごこうのすりきれ…」、を思い出し吹き出してしまった。吉田さんは落語が好きらしいです。ハイ。

 

そういうわけで、みんなで山を登ったみたいな体験だった。最後の方でわたしが脱落しかかっていると「小川さん、ひとつひとつ、一歩ずつなんだよ」。こういう文句が絶妙なところで返ってくる。赤ペン先生みたい。そもそも吉田さんは山も好きらしい。とても懐の広い人です。そうそう、他の仲間もみんなユニークで才気煥発。紙面がつきたから、この稿は終わりにしますが、今の気持ちはといえば、また、もう一つ、先をめざしてみたい。

 

パート2が出せたらいいな。そのためには初版1刷のこの本を完売し、第2刷も出して、資金としなくちゃ。そしてそして、若い人たちに読んでもらいたいなあ。先日、敬愛する先生がこう言った。「真実と事実は違うんだよ。真実はずーっと追いかけるもの」。ずーっと走って、みんなで前に行けたらいいな。まさにラグビーじゃん。  11/10

 

あっ、明日、初めての新聞広告が掲載される日だ。

(上の写真)コロナ禍の灯篭流し、市民の参加は中止でしたが、密にならないよう石上寺さんと円光寺さんの読経、富岡市長など3名が参列して、熊谷空襲で亡くなられた方々の供養が執り行われました。

SATSUさん作の販促用のポップもでき、さあ販促だ!