深谷市のkさんからのお便りです(2021年2月)

「最後の空襲・熊谷」を非常に興味深く、一気に拝読いたしました。久しぶりに「内容が大変充実した本を読んだ。」という感じです。

 大井教寛様の「熊谷空襲とその時代」、空襲体験者への高校生のインタビュー、学識経験者の方々の座談会等々の充実した内容には、感動、驚嘆するばかりです。戦争体験では多くの方が被害者の視点から語られることが得てして多いのですが、とりわけ高城三郎様のお話には加害者の視点からも語られ、同時に加藤一夫様の「空襲体験・戦争動員・敗戦そして戦後へ」でも加害者としての認識を持たれ大変感じ入った次第です。

 109ページでは、難波先生のことに触れられており、先生から種々教え頂いた者として熊高在学中を大変懐かしく思い出しております。先生の戦時中の英語に対する発言等には、卓見であったと感激いたしました。104ページでは、熊高の先生でいらした金子秀吉先生のことにも触れておられますが、通学時の記憶では、金子先生のお宅は、17号国道を挟んで高城神社の合い向かいにあったと思います。難波先生のことと併せて懐かしく思い出しました。(先生のことは、当時の生徒は、「キンコ」、「ワタヤ」と言っていたと思います。)

 193ページ「戦陣訓数十万冊を焼却した」とありますが、先に亡くなられた半藤一利先生の原作を映画化した「日本で一番長い日」にも当時の陸軍省で大量に機密資料を焼却し空を焦がすシーンがありました。陸軍省のみならず日本の津々浦々の官公署でこのようなことが行われ貴重な資料が大量に失われたのでしょうね。戦時中の虚位の「大本営発表」、現代の「モリ、カケ、サクラ」での公文書の粗略な扱いに通じるところがあると思います。