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二人のアスリート(吉田庄一)

二人のアスリートとは、新谷仁美さんと田中希実さんのことだ。
私は、陸上競技(短距離)をやっていたことがあり、スポーツの中では圧倒的に陸上競技が好きだ。日本選手権クラスの大会はテレビで放映されることがあるのでよく見る。ところが、今年はコロナの感染拡大で、陸上競技の開催ができていないのか放映も少ない気がする。と言うわけで、ユーチューブで見たりしているのだが、これは便利だ。

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4日、日本選手権長距離種目というのがあった。この大会のことは、田中希実さんがどこかのインタビューで言っていたので知っていた。そして前日、NHKのインタビューに新谷仁美さんが、日本記録で勝つと、強気の発言に続き、もし日本記録がでなかったらそれはコーチの責任ですと、言ってのけたのに驚いた。今の新谷さんはそれほど強いのだ。

2011年、東日本大震災の年の6月、日本選手権が熊谷陸上競技場であった。地震の後、福島第一原子力発電所の過酷事故もあり、私の中では黒い靄が晴れない状況だったし、なにより熊谷スポーツ文化公園の汚染状況も気になるところだったが、あまりある機会でないので見に行った。その中で印象に残ったのは女子5,000m決勝だった。ぶっちぎりで勝つと思っていた新谷さんが負けたのだ。予想通り先頭に立ち2位以下を離して一人旅の展開となった。しかしこの日は、思いのほか伸びず、2位に抜け出した絹川選手がじわじわ迫ってきて、なんと抜かれてしまったのだ。

 

試合が終わり、東日本大震災への募金をして外に出た。若者2人組と交差するように広場を横切ったのだが、ふと後ろを見ると、競技場の方から女子選手が2名、若者の方に向かって歩いてくる。なんとその一人が新谷さんだった。まもなく新谷さんは二人組の一人に走り寄って抱きついた。手を目にやり「エーン、エーン、負けちゃった」とウソ泣きをしていた。相当ショックだったと思ったが、なんかほほえましく安心した。

 

そんな彼女が第一線から退いてしまっていたのがだが、何年か前から復帰していた。124日、新谷さんは、宣言どおり日本記録を大幅に塗り替える快走で優勝した(302044)。ただ30分切らないと国際レースでは戦えない。復帰した時、東京マラソンに出て優勝しているが、マラソンは疲れるので嫌だと言っている。これも新谷さんらしい発言だ。5,000mと10,000m、国際レースで競う姿を見てみたい。

 

もう一人のアスリートの田中さんは、1,500m(4分5秒27)と3,000m(84135)の日本記録保持者だ。まだ21歳だという。豐田自動織機に所属しているが、同志社大学に在学し父親のコーチのもと一人でトレーニングしている。ユーチューブで見ると彼女らしい試合運びは、トップ集団で走り、最後の1、2週で突き放し独走、最終コーナーでさらに加速してぶっちぎりで勝つパターンだ。こんな勝ち方をする選手は見たことがない。またある時は、あえて最後尾で走り、最後にごぼう抜きし、やはりぶっちぎる。彼女は、スピードや持久力をつけるためか800m、5,000mにも打ち込み両種目ともトップレベルなのだ。124日の日本選手権長距離種目では5,000mに出場し、廣中選手とのデッドヒートを制し、強さを見せつけた(15565)。新谷との対決を見てみたい。彼女たちが福士の持つ日本記録を超えるのは時間の問題だろう。

 

 

ユーチューブでは田中さんのレースや練習模様、インタビューなどがたくさんアップされている。彼女自身は、別にオリンピックを目指しているわけでも、種目を絞るつもりもないという。自分はまだまだ弱い。天邪鬼の性格なので人と違うことをするとも。二人のアスリートの姿勢は気持ちがいいし、清々しい。