熱海の土石流から思う(吉田庄一)

毎年繰り返される自然災害ですが、今回の熱海の土石流は実際に建物等飲み込んで流れ落ちていく映像が何回も流され衝撃を与えました。そして思うのは熱海ってそんな所ばっかだよなと、旅行者目線で見てしまいます。他人事感覚なんですね。熱海、箱根、伊豆って急峻な山を切り崩して造成されている観光地ですよね。 

 

今回の土石流の南にMOA美術館があります。何回も訪れていますのであの辺の地形はなんとなく分かります。数年前ですがもう少し北になりますがとある健保組合の保養所に行きました。道が狭く入り組んでいてあちこち走り回った記憶があります。映像で流された場所も通過しました。あの辺りは企業や健保組合の保養所が多く、リゾートマンションなどもあったと思います。 

 

被害を大きくした要因は、神奈川の業者による異常な盛り土のようですが。行政の説明を聴いても規制が後手後手だったことが分かります。この業者は宅地造成をしていたのか、残土処分をしていたのか分かりませんが、金もうけのために安易な投棄を続けたのでしょう。 

 

熱海の件は人災のようですが、自然破壊を伴う開発は、時に自然からの甚大なしっぺ返しを受けます。地球温暖化がダイレクトに影響している気がします。日本列島にはこのところ有名になった線状降水帯があちこちで発生し大雨が続きます。場所により土石流、洪水など大きな被害をもたらし人命も失われます。今日現地を訪れた(遅くない?)菅首相は、今回の被害を受けて、線状降水帯の発生を予測するための開発を、前倒しで進めたいと、NHKニュースが放映していました。前倒し?何年も前から甚大な被害をもたらしている線状降水帯の予測を前倒し?意味不明ですね。 

 

ところで、利根川や荒川といった大河に囲まれた熊谷ですが、暑さはすっかり有名になっていますが、こう言った自然災害は比較的起こりにくいと思われます。ということで、やはりテレビの中のことと思ってしまいます。これは、戦乱、事故、災害と日々ニュースとして目に入る世界の出来事の一コマです。マイアミのマンションはなんで崩壊したのか。中国を彷徨っていた象の集団はどうしたのだろう。だんだん本質的なところから離れていってしまいます。 

 

地震や津波を制御できなのならダイレクトに影響を受ける海岸線で生活は止めるべきです。ちょっと過激ですね。でもこれが本質でしょう。三陸では昔から津波の被害が多く、先人たちは石碑を残しここより下に家を建てるなと戒めました。しかし、ほとんどの地区では時の経過が忘れさせたのか、功利的な生活が優先してしまうのか、先人の教えは守れませんでした。先人の教えを守ってきた宮古市の姉吉地区は例外ですね。

 

同じように、地球温暖化が頻繁に自然災害をもたらしている現状を考えると、本気の対策が必要です。SDGsもそうでしょう。もっと身近にそれぞれの地区で大雨が降り続いたらどうなるか検証が必要でしょう。山が崩れるのか、川が氾濫するのか。しかし、力で防ぐのは限界があります。私たちは、3.11の津波が防潮堤を簡単に乗り越えたり、破壊したりした現実を目の当たりにしました。より強固な砂防ダム、スーパー堤防なんて発想ではだめと思います。

 

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コメント: 4
  • #1

    鈴木 優希 (土曜日, 17 7月 2021 20:19)

    熊谷に洪水は関係ないとは、とんでもありません。昭和22年のカスリーン台風、昭和25年の台風だったか、利根川と荒川の土手が決壊し、本町地区をはじめ、荒川右岸(熊谷駅周辺)が水に沈んだ白黒写真を小学校の社会科で学びました。他人事?それはまずいですね。江戸初期の寛永6年に、久下から元荒川を流れていた荒川(旧荒川)を、和田吉野川に繋げて瀬替えしました。岩槻や越谷へ注いだ荒川を、入間川水系に繋げ、隅田川の東に荒川放水路を作り、隅田川の水量を減らしました。
    灌漑設備に用水路を整備しましたが、利根川・荒川が決壊しては意味を為さなくなります。10年ほど前にも、行田駅近くの久下の土手下で、台風の大水による越水がありました。水を舐めてはいけません。
    また、津波避難の成功例は姉吉地区と、大船渡市吉浜地区と綾里(りょうり)地区もあります。綾里湾は、過去の三陸津波で33mの津浪被害を受け、多数の犠牲者が出ました。その後、高台避難を決め、東日本大震災では犠牲者は出ませんでした。過去の失敗を生かした例です。

    やはり、過去に災害のあった場所は警戒が必要です。瀬替をしても、不思議なことに水は過去を覚えています。
    このことを肝に命じ、準備を怠らないようにすることが肝心です。

  • #2

    由美子 大久保 (土曜日, 17 7月 2021 23:12)

    吉田さん、ハザードマップだと、私たちの家の辺りは50㎝の水害となっています。吉田さん宅は、多分床下に来るか来ないかだけど、私の家は家の作りが特殊だから、50㎝でも床上浸水です。早晩、車庫に置いてある炭やら薪やらを50㎝以上の場所に移そうと話しています。

  • #3

    吉田庄一 (日曜日, 18 7月 2021 07:00)

    鈴木さん、コメントありがとうございます。
    この本を作成するので、小島の医王院に行ったことがあるのですが、少し前に台風で利根川がいっぱいになった後だったので爪痕は肌で感じました。あの時、石田川が氾濫したんですね。私の母は利根川近くだったので、洪水で2階まで水が来たとよく言ってました。深谷や妻沼の地名で○○島というところは、昔今のような堤防がない時代に水が出て浸水する場所と集落の場所を示していると思います。母の実家には土間の天井近くに船がつってありました。
    荒川も秩父線の樋口の駅、秩父街道を挟んで小学校があるのですが、その金網フェンスの信じられない高さに、昔水が来た位置が表示されています。荒川ははるか下を流れていますので、このあたりでは何十メートルも水が上がったんでしょう。私の父からは、昔おそらく大里地区と久下あたりのことか、荒川がいっぱいになり、両方の自警団なのか青年団なのか見回りしていて、どっちかの人たちが夜陰にまみれて船を出して対岸の草を刈ってしまったので反対に川が切れたとか聞いています。私もそういうことは知っているのですが、歴史的には川を付け替えたり、堤防を丈夫にしたりして水害に対応してきました。それも限界があるのかなと思っています。秩父に巨大なダムがたくさんありますが、当然治水の役割をしていると思います。しかし、山の開発は伴うわけで、本来の山の保水力は低下する。また、想定を上回る雨が降ったらと思うと、大変なことになるのだろうなと危惧しています。

  • #4

    吉田庄一 (日曜日, 18 7月 2021 07:06)

    大久保さん、私の家と大久保さんの家の間の道、集中豪雨になると川になってしまいますよね。私は、側溝に入るところいつも塞がれていないか確認して掃除しています。ラグビーロードは河川の改修工事が進んだことによるのか、冠水はあまりないようですね。