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ミャンマーの危機(米田主美)

ミャンマーの今を知る

 

突然、ミャンマー軍がクーデターを起こし、無抵抗デモを続ける市民に発砲、「これは何だ」と驚くばかりだった。それまでの私のミャンマーに対する認識はアウンサンスーチーさん率いるNLDの下、民主国家を目指しているという程度だった。

 

しかし、私の勉強不足がよくわかった。「ミャンマー危機」永杉 豊著によれば、国軍はなぜ市民を殺してまでも政権を握ろうとしているのか、その背景には利権が絡み、中国の影も見え隠れしているらしい。「国家安全法」という法律の銃で香港を制した中国と違い、武力で利権を握ろうとするミャンマー軍は、6年前から準備していた野心家集団なのだという。歴史を辿ればミャンマー軍の始まりは旧日本軍によってつくられたのだから両国の関係は長い。

 

日本で立ち上がったミャンマーの若者

 

7月、一般財団法人Workspace  Asiaの代表理事をしている田所さんと出会い、ミャンマーの若者たちが「ミャンマーをたすけて」と募金活動をしていることを知った。彼らは日本の会社などで働きながら毎週土曜日、駅頭で募金活動をしている「SPC」という埼玉のグループだ。

 

8月7日10時から大宮駅コンコースで行うという話を聞き、私も何か力になれないかと思い、模造紙に筆で大きく「ミャンマーをたすけて」と書き、下にミャンマー語で書いてもらった。通行人に目立つので喜んでもらえた。彼らは募金してくれる人に皆で「ありがとうございます」と深々と頭を下げる。「パンフレットを読んでください」と差し出す手には、感染症を配慮して薄い手袋をしているのが見えた。心を遣い誠実な取り組みをしているのだ。

 

しばらくすると、立ち続けている私に「水を飲んでください」とペットボトルを差し出してくれた。通行人の反応は意外に冷ややかだが、中には通り過ぎてから戻ってお金を入れてくれる人、パンフレットをもらいにくる人、二回入れてくれる人もいた。母国を思う若者たちの胸の中はどんなであろうかとゆっくり話したい気持ちが残っていたが、当日は3時半で終了し、募金箱を置いてくれる与野本町のお店に向かった。

 

次々と拘束され、銃弾を受ける抵抗詩人たち

 

私は詩を書いているので「ミャンマーの抵抗詩人」と呼ばれるケイ・ザ・ウインさんの

詩がネット上に流れ、気になった。だが、3月3日デモ中に死んだことを知らされた。

 

パダウの花  

 米田 かずみ

 

雨季を告げる

黄色いパダウの花がひらき

ヤンゴンの街に雨が降る

 

スーチーさんの面影に似た女性が

パダウの花を髪にかざして

通り過ぎる

 

すべてが変わった

パダウの花は血色に染まり

若者は命をかけて叫ぶ

 

3月3日

デモの途中で殺された

ミャンマーの抵抗詩人

ケイ・ザ・ウインさん

 

ペンを奪われ

生きることを奪われた

 

だが、ウインさんの詩は残った

 

海を渡り

私の胸にも届いた

 

耳を寄せれば

ほら

いつかの日本

 

私の傍にも聞こえてくる

ミャンマー軍の靴の音 

 

*パダウ(ミャンマーの桜と言われ、一週間で散る黄色い花)