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77年目の夏・・・1(吉田庄一)

やはり地球温暖化の影響なのか今年の夏は特に暑い。来年以降もこの傾向は続くのかと思うと気が滅入る。ところで、私たち(熊谷空襲を忘れない市民の会)はこの時期に合わせて、熊谷空襲に関する夏のイベントを毎年企画している。昨年はコロナ禍で断念したが、今年はどうにか開催したいと思っている。8月27日に熊谷市緑化センターにおいて、【若い人たちへのメッセージ「77年前熊谷で何が起こったのか」空襲体験者を囲んで】と題したシンポジウムを開催する予定だ。同時に1階ホールでは熊谷空襲戦跡パネル展を行う。「最後の空襲 熊谷」の出版は世代を超えて読んでいただき、特に若い人たちに繋いでいきたいという思いが結実したものといってよい。このシンポジウムもその延長線上にあり、若い人たちの参加を期待したいが、実のところ課題でもあるのだ。

 

今年はロシアのウクライナ侵攻があり、連日ウクライナ戦争に関して報道が続いている。日本は、いわゆる「国際社会」の一員としてウクライナ側に立って、ロシアに制裁を科す側になっているため、報道はウクライナ側のプロパガンダで溢れている。国連やトルコなどが仲介して停戦=平和への道筋を立てているような報道もあるが難しいようだ。どうしてなのか、見方を変えると、いわゆる「国際社会」が、和平を望んでいないともとれるのではないか。戦争は多くの兵士や民間人の犠牲を伴う。このウクライナ戦争は、第三次世界大戦の始まりになってしまうかもしれない危機的状況を作り出しているのだが。プーチン大統領は核兵器の使用もチラつかせながら戦争を続けている。いわゆる「国際社会」は、直接介入はしないが大量の武器を送り続け、ウクライナの地で代理戦争を行っているようにも見える。戦争を起こさない知恵、戦争が起きた場合、速やかに停戦に導く知恵を人類は捨ててしまったのか。

 

翻って日本を見ると、ウクライナ戦争や北朝鮮問題、中台関係などを出汁に、戦争ができる国へと邁進している風に見える。安保法制を強引に進めた政治家たちは、憲法の都合のいい解釈変更を続け、危機を作り出しているといえる。好戦的な人たちは危機がないと武力の増強は難しいからだ。敗戦から77年、戦争の記憶が薄れ、勇ましいことをいう政治家やいわゆる専門家発言が目立っている。

 

 

熊谷では8月6日、9日、15日と中央公園の平和の鐘が鳴らされ、16日は星川の灯籠流しが行われる。このところ都合のつく限り参列しているが、参加者は少なく寂しい限りだ。コロナの影響もあると思うが、コロナ前からこの傾向は続いている。写真は、8月6日、15日の中央公園の鐘と集まった市民。16日は星川の灯篭流し、規模を縮小して行われた。仕事の関係で途中参加だったが、藤間さんが、若い人たちに繋げていく重要性を訴えていたが納得。ひょんなことから8挺しかない灯篭の最後の1挺を流させてもらった。