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77年目の夏・・・2(吉田庄一)

8月11日(木)熊谷市文化センターで上映された【「わが青春つきるとも」~伊藤千代子の生涯~】を鑑賞した。伊藤千代子さんのことは知らなかったが、この映画を上映したいという大勢の人たちの熱意の結晶のような上映会だったと思う。

 

冒頭、土屋文明が女学生を前に伊藤千代子のことを語り物語はスタートする。

土屋はアララギ派の歌人だが、諏訪高女の教員として彼女を教えている。まっすぐに生き、時代に斃れた彼女のことを何首か詠んでいる。

「こころざしつつたふれし少女(おとめ)よ 新しき光の中におきておもはむ」

 

伊藤千代子は長野県の諏訪に生まれた。小学校の代用教員などを経て東京女子大学に進学し、社会運動に身を投じていく。諏訪の製糸工場の労働争議や労働農民党の選挙支援などが描かれ、あの水野茂夫にオルグされ共産党に入党する。そして治安維持法違反で特高警察に逮捕され、拷問を受けつつも転向せず未決囚のまま市ヶ谷刑務所に収監される。この映画の中心ともいえるのが、刑務所での生活だ。独房に入れられた仲間たちを創意工夫し励まし情報を共有する。義母との面会などが情報源になっていた。それと並行して同志だった男たちの変節、転向が描かれる。彼女をオルグった水野の転向や夫の浅野の転向も知ることになり彼女の精神を病んでしまう。松沢病院に入院したが、たいした治療も受けられず肺炎のため短い生涯を閉じた。この映画の救いは、諏訪の労働争議を千代子の助けを借りながら主導した、平川ふみの墓碑前での語りかけだ。“千代子姉さん、やっと軍国主義のいやな時代が終わりました。治安維持法が無くなり、特高警察も廃止されました。千代子姉さんが訴えていた、侵略戦争反対、主権在民、男女の平等など、千代子姉さんのこころざしが、みんな、実現しました…。夫と子ども見守られた平川ふみの語り掛けは、目的半ばで命絶えた仲間たち(大勢の伊藤千代子)への鎮魂と希望でもあるだろう。

 

ところで、この映画では共産党の幹部だった水野や浅野の転向が取り上げられている。水野はフジテレビの初代社長だ。財界の大物となっていく。読売新聞の渡邊もそうだが、転向者の振れ幅がすごい。ちなみに、水野の息子は水野誠一だ。西武百貨店の社長や国会議員(さきがけ)を務めた。奥さんは故木内みどりだ。反原発運動を牽引した一人として私の中では深く刻まれている。

 

あと諏訪の女工たちの闘いは、製糸会社山一林組でのことだ。熊谷にも大工場があった。今の中央公園辺りで戦中は富士光機という軍需工場だった。そのほか、この映画では深谷の旧七つ梅跡、深谷商業などでも撮影されている。

 

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コメント: 1
  • #1

    kazumi (土曜日, 26 11月 2022 15:48)

    浅野のことは苫小牧のパルプ工場で大きくなった友人の所に勤め、詩も書いていたらしい。渡邊のことも有名ですが、水野のことはこの投稿で初めて知りました。特高はこの後も幹部はそのまま、自民党の高村正彦は改憲草案座長、統一教会の草案をもらっている。高級車も。
    石破茂の父親、二郎、町村信孝の父親、金吾も返り咲き。つまり戦後77年自民が政権をとっているかぎり何一つ変わらないということでしょう。