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夏から秋・トホホの読書日記(小川美穂子)

「同じ年に生まれて 音楽、文学が僕らをつくった」小澤征爾 大江健三郎

中央公論新社 2001年初版 三百円で深谷七ツ梅・須方書店で購入

 

 第一声。「お久しぶり」。ずっと書きたかったわが「出版プロジェクトチーム」スタッフブログなんです。が、この2022年後半はイベント目白押し、出歩いてばかり。秋になっても自分の紙媒体の原稿はおろか、ブログ発信もままならないのだけど、とうとう敬愛する管理者からミッション指令が来ちゃいました。ので、「書きます」。書かせていただきます。

 タイミング良かったんです。ずーんと響く本を読んだばかり。標題はこれにしました。

 

 この本、一度読みかけていたのに、部屋の隅で私をにらんでいました。いえ、微笑んでいます。大江と小澤。そのカラー写真をして、私に、いつもの古本屋さんで瞬時に買わしめたんだものね。

 そして、本体とカバーはずっと前から別に転がっている。理由は~ ゴメン、神聖なる書物に対し。お風呂タイムが私のリラックスタイムなんですが、先々週、余りに寒い。夜中に目覚めた私は、アパートのそこだけリフォームしていない小さなバスタブに逃避を決めこみました!

 これ、生活の知恵なのですが、それはともかく、瞬時にこの本の本体を連れ込んだ私はえらかった。前にどこまで読んだか忘れたので、えいやっと、第二章から頁を繰り出しました。これが三時頃。結果として。出かけるギリギリ七時半までお風呂にいて一冊読破。あまりに心が躍動したのは、本の力と、お風呂場の神さまのおかげかしら。途中キッチンに走り、お湯の中で朝食のお握りときなこドリンクを食しました。ずぼらな私にして初体験。簡易小川流サウナですな。

 さて、前置きが長くなりました。

 目次です。

僕らは同じ年に生まれた・・・・・・・・・・・・・大江健三郎

 

 若い頃のこと、そして今、、僕らが考えること

 芸術が人間を支える

 “新しい日本人”を育てるために

 

語り合えてよかった・・・・・・・・・・・・・・・小澤征爾

 

 カバーと本文中の数枚の写真、読売新聞写真部岩佐譲が秀逸、司会は殆ど発言なく無記名

 

 2000年に二人が揃ってハーハード大学名誉博士号授与式に同席したところから生まれた読売の企画だったようだ。大江は冒頭で四十年前の自身の小澤へのインタビューを書き出す。そして、三回(三章)の2000年の対談の場所は、八月の夏の奥志賀高原での、サイトウ・キネン・オーケストラの合宿場など、十二月の成城の自宅。写真には若き演奏者や大江ファミリィも映り込む。

 二人が一貫して語っていることは、自分を育ててくれた環境・風土。二人が生まれた1935年ということから自ずからそれは日本現代史となり、対話中、武満や伊丹、チョムスキー、当然、斉藤・渡辺先生やその周辺が描かれる。音楽と文学の専門を越えてというか芸術の普遍性。ホンモノの本が読みたくなり、音楽を聴きたくなる。

 更に。「それ」を新しい人に伝えるには時間がないと二人は、それでも楽観的に、言っているが、今日それを読む私は今現在の二人の事を少しは知っているわけで、なんとも複雑な思いに駆られる。そして何より、対話中に少し発言もある令息光さん。ここでもうグッとくるわけ。人間が人間になるということを、この四十年を、そして未来を、能弁に語る二人に対して、光さんは要所でほんの数回、大江の問いに対して的確にコミュニケートする。即ち、脳に障碍をもって生まれながら、人知を越えた天才的な音楽的才能を授かって、大江文学の一つの象徴的存在。

 人は努力すれば、そして愛をもってすれば、ここまで豊かになれるのだと語っている本だ。現在の絶望的な状況に負けるわけにはいかないなと、言葉の、人間の力に打たれた。対談から二十年たって、この本を読んだ私。前書きの大江の文章の最後を中途引用する。

 

 …… それは、僕に、その時間の持続のなかにおいて、あの時代に少年として生き、いまにいたるまで根本において生き方と熱望を変えることなしで来たことを、つまり運命を肯定させてくれたから。そしてその思いを、もう僕たちの居なくなる時に向けてすら、延長させてくれるようであるから。

 

 同じく小澤からも。小澤は前段で「彼は音楽家でないのに、音楽の本質を突いている」と。

 

…… さまざまな決定を直観で行う僕は、時々、その直観が当たらなくて皆に迷惑をかけてしまうことがある。そんな時、きっと大江さんの言葉は僕を励まし続けてくれるだろう。大江さん本当にありがとう。  2001年7月 マサチューセッツ州レノックスにて

                                                                【記:千葉県酒々井町にて10/18】