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月一落語会黒門亭の巻(吉田庄一)

1.「守破離」 

黒門亭の高座の上に掲げてある額。これ何だ?知らない!幹事氏に聞いてもピンときてなさそうだ。そんなわけで、ググると出てくる出てくる、今まで知らなくて恥ずかしくなる。芸事などの修業における段階を言っているらしい。出た!もとは千利休にあるらしい。 

 

千利休の教えを和歌にまとめた『利休道歌』にある「規矩(きく)作法 守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな」を引用したものだそうだ。 

 

落語では 

「守」は、師匠に弟子入りし、師匠から教わった型を繰り返し学び守ること。その流派の基礎を身に着ける段階で、さしずめ前座のころか。 

「破」は、身につけた型や技をベースに、他の師匠や流派の教えについても学び、いい意味でその型を破り発展させる段階、二つ目? 

「離」一つの流派や自分の流儀から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階、真打? 

ってところか。ここ黒門亭は、落語協会の事務所の2階で、修業の場でもあるらしい。でも、好みにもよるが、二つ目でも真打でも歴然とした差を感じることはよくあるのだが。 

 

2.ちょこっと散歩(上野黒門町界隈) 

月一落語会は、幹事氏のプランに乗っかるだけなのできわめて楽、集合場所と集合時間を守りさえすればいい。この日は、御徒町駅11時集合。熊谷からだと9時50分の新幹線で間に合うのだが、一本前で行く。集合場所まで約1時間散歩しようという算段だ。ノープラン行き当たりばったり。 

 

上野駅を出てエスカレーターで西郷さん裏に出てみた。銀杏が真っ黄色の葉を付けている。毎日新聞の栗原記者が、この辺りには関東大震災と東京大空襲の被害者の亡骸が誰に引き取られることもなく大勢埋まっていると聞いたことを思い出した。そのまま不忍池に降りて池之端方面に行こうと思ったが、なんと10月桜が咲いていて人だかりができていた。それを写真に収め、ついでに王仁博士の碑、天海僧正の毛髪塔を見る。近くの上野の森美術館に行列ができている。確か「兵馬俑と中国古代展」はまだだと思ったが、プレミアム鑑賞会だったようだ。「兵馬俑」はそそる。過去に西安への旅行を計画したことがあったが、諸般の事情で行けてないのだ。 

 

今度こそはと池之端に向かおうとすると、真新しい彫像が目に入った。海老名香葉子さんが中心になり建立した「時忘れ時の塔」だった。碑文には 

 

「時忘れじの塔 

関東大震災(大正十二年)東京大空襲(昭和二十年) 

 

  東京にも、現在からは想像もできない悲しい歴史があります。 

今、緑美しい上野の山を行き交う人々に、そのような出来事を 

思い起こしてもらうとともに、平和な時代へと時をつなげる心の 

目印として、この時計台を寄贈しました。 

 

建立、寄贈 初代林家三平妻 海老名香葉子 

建立有志一同」 

 

幕末の上野戦争でも大勢亡くなっている。上野のお山は歴史を今に伝えている。ちなみに、黒門町の由来である黒門は、寛永寺の総門で現在は、南千住の円通寺に移築されている。砲弾跡など残り生々しい。 

 

不忍池まで降り池之端の歓楽街の中の道を南に進む。まだ起きてないというか、眠りについてそれほど立っていない一帯はひっそりしている。仕事でよく来た場所だ。春日通りを横切り黒門小学校前を南に進み、しばらくして左折、JR線を目指し高架脇を御徒町に戻った。外国からの観光客も目立つ。 

 

3.湯島天神、不純喫茶ドープ 

黒門亭での落語会、会場は25畳くらいか、客入りは悪い。取り立てて宣伝もしていないようなので、客はそれなりに通の人なのかもしれない。しかし当世畳敷きに長時間はきつい。まばらにおかれた座布団に気が滅入っていたら、驚いたことに幹事氏は、私たちの分を含め簡易的なイスを用意してくれていた、ありがたい。そんな彼が、一部と二部の間に湯島天神に行こうと提案、境内は菊祭りに七五三、露店も出ていてにぎわっていた。この辺りは、私のフィールドでもあるので、近くを案内しようとしたら、戻る時間とのこと、仕方なく「十八割そば」を案内する。春日通りの大きな鳥居の角にあったのだが、なんとなくなっている。後で調べると春日部に移転したみたいだ。十割そばと八割そばを2層に重ねたそばなのだ。いつだったか、店主から湯島天神と銀座でそば打ち道場をやっているので来ないかと誘われたことがある。 

 

黒門亭への道すがら人通りのない裏道に、若い女性たちで混んでいる喫茶店が目に入った。こんなところで、なぜこんなに混んでいる、疑問がもたげてきた。幹事氏が「あっ」と声を上げた。店名が「不純喫茶 ドープ」となっている。「不純喫茶」みんな????、なんでとなった。結論は今どきSNSで有名になっているのでは・・・。私たちが、まだ若者だったころ喫茶店と言えば「純喫茶」がほとんどだった。そういえばこの「純」って何?酒があるかないかに違い?どうでもいいが、落語会の後の飲み会では。昔話に花を咲かせた次第である。それにしても「不純」は良からぬことを思ってしまうのは私だけだろうか。