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熊谷の衰退はいつから(米田主美)

熊谷へ戻ってきて10年になる。それまで浦和、大宮に40年近く在住していた。

実家で母が一人暮らしをしていたので、時々来ていたが、次第に街の勢いがなくなっていく様子をみて暗い面持ちだった。特に17号国道沿いの商店がことごとくシャッターを下ろしているので、今日は定休日だったのかと、思い直すくらいの光景だった。

 

私が若い頃には、駅前に丸井デパートがあり、ニットーモールの所にはダイエーがあった。フランス料理店や、イタリア料理店、キンカ堂もあり、映画館も近在していた。星川通りもバーや料理屋で会社帰りのサラリーマンたちは一杯やってから帰宅する人も多かったようだ。

戦後、空襲から立ち直っていく熊谷市民は逞しかった。県北の中心として自慢の市だったのに。

 

国の政策もよくない。東京一極集中で地方を省みなかった。若者は都会志向になり、しだいに人口が減少していった。そういう私自身、県南の発展を予測し、浦和へ出て行った。

浦和は駅前に伊勢丹が入ったことで西口が賑わった。都内へ買い物に行く住民層を浦和で引き留めたのだ。オープン時の店長の挨拶だったそうだ。その後、さいたま市による浦和駅東口再開発事業も行われた。中心はパルコの誘致だ。中に行政機関を入れることで契約が妥結し、東口の商店街は市に譲渡した。そこまでいくには市の駅前再開発構想が綿密に立てられ、市に住民を説得するだけの力があったのだ。

図書館、映画館が入り、市民活動センター コムナ―レは市民の活動の場だ。文化が駅前で育まれるというわけだ。

 

熊谷はシャッター街から抜け出すためにどんな努力をしたのだろう。

図書館の展示室には土器や埴輪など重要文化財がある。これには驚いた。でも、市民はあまり、話題にすることはない。私は熊谷には博物館や美術館がないから、暗い図書館の展示室に眠らせておくしかないのではないかと思う。財源がないから仕方ないではないだろう、言ってしまえばそれまでだ。市の行政に携わる人々が文化に関心が薄く、後回しにしてきたのではないかと思う。

先日、市議会の一般質問で、ある議員が熊谷に美術館、博物館をという提案をしていた。近隣の市が新しい政策をどんどん出して街の活性化を図ろうとしているのに対し、熊谷はどうするのかという質問と要望だった。人口が流失し続けている市には抜本的な街づくりへの政策がほしい。