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月一落語会「浅草演芸ホール」の巻(吉田庄一)

今月の落語前の東京散策は、長瀧山本法寺の「はなし塚」を主な目的に浅草を歩いた。以前から行きたかったので幹事殿に感謝。本法寺は銀座線の田原町駅近くにあり、塀に積み上げられた石一つ一つに名前が刻まれている。落語関係者が多いが一般名もある。よく神社などでは欄干の石柱に寄進した人の名前が刻まれているが、このような壁は見たことがない。中に入ると右に熊谷稲荷神社がある。お寺の中に神社?これは珍しい光景ではないが、落語界隈の人たちに信仰を集めていた関係で「はなし塚」ができたそうだ。いきさつは案内板にまとめられている。

 

台東区教育委員会の案内板から転記

 

◆はなし塚

 この塚が建立された昭和16年10月、当時日本は太平洋戦争へと向かう戦時下にあり、各種芸能団体は、演題種目について自粛を強いられていた。落語界では、演題を甲乙丙丁の四種に分類し、丁種には時局にあわないものとして花柳界、酒、妾に関する噺、廓噺等53種を選び禁演落語として発表、自粛姿勢を示した。この中には江戸文芸の名作といわれた『明烏』『五人廻し』『木乃伊取』等を含み、高座から聴けなくなった。

 「はなし塚」は、これらの名作と落語会先輩の霊を弔うため、当時の講談落語協会、小咄を作る会、落語講談家一同、落語定席席主が建立したもので、塚には禁演となった落語の台本等が納められた。

 戦後の昭和21年9月、塚の前で禁演落語復活祭が行われ、それまで納められていたものに替えて、戦時中の台本などが納められた。

 

禁演落語は当局の要請でなく業界の自粛ということなのだ。塚に納めて供養するとは落語っぽいが、生贄を差し出して本業の延命を図ったということか。自粛したのは53演目には、「子別れ」(どういうわけか最近あちこちでよく聴く)なども含まれている。「子は鎹」の話だが、あるべき家庭像とは違うということか。

 

境内を散策していたらちょっとした発見があった。「山谷なかま塚」という石碑だ。碑文からなんとなく想像できる。ググってみると、山谷では毎年病や行き倒れで200人ほどが亡くなるという。支援をする人もいるわけで、先代の住職がその人たちと知り合い、ややもすると厭世的になっている日雇い労働者たちに分かりやすく法話を説いていたそうだ。その縁で昭和50年に「山谷なかま塚」が建立され、年明け山谷無縁物故者追悼会が営まれ、狭い堂内に約150人の労働者が参加、「俺たちもこの後、死んでもこの塚に守られると」感謝。毎年秋に無縁物故者の法要が営まれているという。岡林信康の「山谷ブルース」を思い出す。

浅草演芸ホールの12月中席昼の部、主任は落語協会会長の柳亭市馬で久しぶりだ。そもそも鬼籍に入ってしまった私たちの落語会の創設者が、市馬さんの贔屓で懇意にしていた。案の定、皆さん期待もしているのだろう、市馬節フルスロットルの落語歌謡ショー。演目も「掛取り」(大みそかの借金取りを追い返す落語)でお客さんも大満足といったところ。あとここでいつも思うのだが演者は多いしちょっと長すぎる。この日の昼の部だけでも落語14名、漫才2組、ジャグリング、マジック、曲芸、浮世節てな具合だ。予定表では14時が一之輔だったので、その頃入るのが丁度よかったかななんて思うが、良い席は期待できないだろう。ただ多くの演者の小ネタは、パーティー券、裏金、キックバック、日大などをひねくるのはさすがだ。他の寄席と違うのは、浅草といった土地柄か観光の一環で寄る人も多いようで客の出入りも激しい(ということは席亭は儲かる?)。ちょっとした喧嘩もあり、なんだか浅草っぽい。

 

改めて思うのだが、浅草はやはり観光客が多い。戻ってきた感じだ。今のトレンドは着物を着て練り歩くことか。特にアジア系の人たちが多い。中国、韓国だけでなくベトナム、マレーシア、インドネシアなど多様だ。欧米人もいなくはないが以前より比率は落ちていると思う。そんな人混みを避け迂回しながら神谷バーで打ち上げとあいなった。たまに飲むがあの電気ブランは独特だ。ビールをチェイサーに飲んでいる人が多い。私はこれいっぱいで十分なのだが、他のメンバーはハイボールを何杯もお代わり。

 

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コメント: 2
  • #1

    にじ (水曜日, 20 12月 2023 06:11)

    もう一度トライします。このはなし塚のことは映画の中のワンシーンで鮮明に覚えていて、もちろんパンフレットにも記述あり。戦中に非戦を唱えた人たちが色々出てくるんだが、題名が思い出せない。お坊さんもでてきた。あー。たしか海老名香葉子さんも、この塚について話していた。記憶力が減退していくなあ。でもって。今回吃驚したのは「熊谷稲荷神社」。銀座の新橋より今春横町にもあるそうですが、ご存じてすか

  • #2

    吉田庄一 (水曜日, 20 12月 2023 13:13)

    にじさん、ここの熊谷稲荷は直実と関係なく、浅草の熊谷安右衛門を勧請したもので、芸事する人たちや花柳界などから崇敬されていたそうです。